受けるつもりでゐる。幸い先輩諸賢の御助言が戴ければ、われわれの大いに喜びとするところである。誌名については、最初、地域的なものにのみとらはれて、北海道とか北方とかの語を冠したいろいろの案が出たが、結局、〔札幌文學〕に決つた。小樽の林良應の提案である。札幌といふ語が、一見、地域的に非常に狭い感じだが、これはむしろ、北海道全体の象徴と解してもらへれば幸いである。いさゝかの自負である。その意味で、加名同人が全道各地域に散在してゐることも、何らの矛盾にはならないと思ふ。われわれ同人は年齢的にも、又は文学的経歴において 〱 づか一年有余の者もゐる、といふ、むしろ乱雑にもみえも、実に不均衡である。二十代、三十代、四十年代にわたる大きな幅があり、文学的経歴に至つては全く区々である。精進二十年の者がゐるかと思へば、志を立ててわる集りである。こんなことは、現在の同人雑誌としては余り類例のないことのやうだ。しかも、今後の経営続刊にも相当の困難が予想される。それを承知の上で、敢えてこの雑誌を発行するわれわれの微意は、かゝつて「文学への郷愁」といふ一点にのみ結集されてゐる。一見、孱弱な結集力のやうではあるが、われわれはそれを、われわれ各自の旺盛な創作意欲と実行力でカヴアしてゆけるだけの、自信と熱意はもつてゐる。これが、われわれの生命線であり、飛躍台だと考へてゐる。われわれは狷介であつてはならないと思つてゐる。かくれた新人、有能な同好者は、今後大いにわれわれの仲間として迎へ入れたいと思つてゐる。こんなさゝやかな雑誌でも、一つの発表機関をもつてゐることは強味である。いゝ作品をみすけこの国の文化的欠損である。その意味で、新たな同志が積極的にわれわれの仲間に参加してくれることに、大きな期待をかけてゐる。本号の表紙・カツトについては、齋藤尙氏の一方ならざる労を煩はしたが、今後もなほわれわれのために全面的な御支援を戴けることになつた。近々個展を開かれるといふ匇忙の間、敢えて筆を執つて戴いたことは、われ持ち腐れにすることは、それだ第1節 戦後の出発747
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