北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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全国にさきがけるこのわたくしどもの計画が、多くの方々の御支持と御賛同を得て、名実ともに誇るべき北海道百年の精神文化の殿堂となることを願うものであります。昭和四十二年四月 2―  私は以上のべてきた、北海道に温存、残存している〈地方文化主義〉その論拠となっている〈北海道文学〉の虚像と実像を忘れないで欲しい。そして自然に無批判によりかかり〈北方の精神〉〈開拓精神〉が、国家の〈国(公益財団法人北海道文学館・北海道立文学館所蔵)熱月社『熱月』四号一九七五年二月北海道文学館 策〉に服属していった悲劇的経路を認識しておこう。それ故、精神的風土を、より歴史的視座により探求してゆくことを始めなければならない。その第一歩として、風土―その概念実体の本質的部分を占有する〈自然〉そのものを吟味してゆかねばならない。ここで〈自然〉を取扱う場合(特に文学に於いて)極めて〈日本的自然概念〉に注意しよう。いわゆる心情的自然観である。客体としての自然(対立概念―存在形態としての純粋客体)と主体としての自我の間に、絶対的対立と距離の無限性が存在することに着目しよう。 〈没心情主義〉的自然観とは、安易な心情=情緒吐露により、主体性を喪失し、自然と一体化するという錯覚から生まれるもの。丁度、舞い散るサクラの情景に、日本的美意識であるはかなさをみる心的態度である。自然との合体=融和を無条件に希めてゆく、その帰着点は、かえって主体性をゆずり渡して自然に秩序、倫理を与えてしまう。次の段階には、〈自然の秩序、法則〉に逆に拘束されてゆく主客の逆転がおこる。遂に自然に規範を神話の解体〔異形としての風土夫〕北海道文化の神話の解体へ向けて柴橋伴第2節 「北海道文学」へ75317 

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