〈ユーカラ〉は死んだ詩うになってゆく。これは魂を抜かれた死人=人形ではないか。石牟礼のいう水俣の漁民=〈流民〉より長期間にわたり、搾取されつづける天皇制国家の棄民としてのアイヌ=人形化された棄民の姿がある。〈ユーカラの世界―アイヌ復権の原点〉で、新谷行は、これを〈天皇という擬制カリスマの強制〉と論理化させている。この北海道の未知なる大自然、いわばアイヌたちが、平等分配の原則なる不文律により原始共産制を定立されていた生の基盤たる自然は、惨酷にも、和人(シヤモ)によりくずれおちた。数々の神々は死せる偶像として崩壊させられた。これが、この悽惨なる歴史的事実が、北海道文化の実像である。開拓者だけが、この自然とかく闘し、生をまさぐっていたのではない。国策により、内地からの流亡の民たる開拓者は、自分も、国家により疎外されているのにも気付かず、二重にして今度は、アイヌを、搾取してゆく。この複雑に交錯する実態こそが、隠さざる文化状況である。これまでにより明確になった様に、文化そのものが、 た独自に存在、機能することはない。北海道の文化はこの様な錯そうした歴史的事実から切り離なされて、内的に自立はしない。アイヌが、精神的にも、政治的にも、この収奪としての歴史から解放されて、共同体として独立できたとき、はじめて北海道の自然はその本来の生をとりもどし、自立し、独自な質量をもつであろう。それまでは、屈従させられた自然であり文化としての負の鎖りにつなげられている。(公益財団法人北海道文学館・北海道立文学館所蔵)第1部 社会・文化 第12章 美術・文学【文学】756
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