といっても小笠原さんだ。特に、夜えんえんと続く、くんずほぐれつの議論から、翌日の文学散歩バス車中でのマイク・パフォーマンスに至るまで、まさに独壇場である。〈中略〉たまたま、私たち三人は、文学思潮研究会という会で月に一度顔を合わせていたこともあって、しぶしぶながら、この集会を引き受けるとして、どうしたらよいかを話し合うようになった。私たちの前には、北大をめぐる困難な状況、日本近代文学会北海道支部が名のみあって、実際には機能していないことなど、難題が山積みであった。そんな中で、私たちが確認したことは、夜の会が今まで通りであることは構わぬが、昼の研究発表は、もっときちんとしようということであった。たとえば、ホテルや温泉旅館に直接集まって、午後だけで切りあげてしまうようなことはやめようということ。それと、北大中心の発想は排そうということ。さらには、文字散歩も、東京から参加する人たちを喜ばせるためだけの企画はよそうということであった。旭川の次は盛岡に決まり、その次は札幌と、私たちは腹をくくらざるを得なかった。だが、盛岡集会で次(つまり今年)は、急遽弘前と決まった。出番は一年延びた訳だが、その間、三人で話し合いを重ねているうちに、この際、日本近代文学会とは別に、近接領域をも含めて、当地で活動している人たちを組織してしまおうという考えがふくらんできた。それが、北海道近代文学懇話会である。東北・北海道の集会は、来夏札幌で開催される。私たち三人が裏方を勤めることになる。私たちは、懇話会の方々を含め、広く参加を呼びかけるつもりでいるし、開かれた方向に持っていければと願っている。こう書いてくると、懇話会は、東北・北海道の集会のために誕生したのかと、心外に思われる向きもあろう。しかし、である。冗談から駒ともいう。六月二十五日の熱気を思えば、がんじがらめの状態にあった私たちの世界に、曙光がさしてきたといってもよいのではないか。(公益財団法人北海道文学館・北海道立文学館所蔵)第3節 様々な意匠761
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