あとがき本号でぼくの担当編集を終えます。執筆を快諾して下 という厄介さがこじれた。が「北方文芸」の実際はここさった方々、多々連載も中途、深くお詫びしつつ感謝。最前線から詩を執筆いただけた北川透、瀬尾育生、支倉隆子さん、有難うございました。創刊三五〇号、定期購読、維持会員、さまざまな領域からの支援者のみなさんに御礼申し上げます。そして、惜しいかな、月刊誌「北方文芸」が終刊するに至った経緯を忌憚なく報告すべきだと思います。 「北方文芸」がとうとう財政的にも危機となり、急遽有志の集まりがもたれ、新システムで建て直したいという気運となった。「北方文芸」は澤田個人の商標登録だまで多くの執筆者、読者、編者スタッフの手弁当で営為北方文芸刊行会『北方文芸』三五〇号一九九七年三月されてきた集合的財産、もはや個人名義の誌とは言えまい。発行人澤田さんに勇退して貰う。これが澤田さんに伝えられたところ、澤田さんとしては感情的に認め得なかった。「北方文芸」の赤字を引き受けるので、川辺、森山氏には退いてもらう。というのが回答であった。建直し案は潰れた。この時「北方文芸」は終わったのだ。が、澤田さん個人は強く月刊を惜しみ続刊に執着する。(まずミスキャストだが)編集請負のお鉢がぼくに回ってきた。これも縁かと引き受けた。ただし三十周年まで一年間で終刊するという案だった。慌ただしく繋ぎの一月号を編集、この段階で帳簿を考察しえたが、到底このまま一年やれる状態ではないと分かった。財政的根拠も編集の構想もない。ただ澤田さんの熱意執心だけでは進めない。話し合いの結果やっとキリのいい本三五〇号で休刊する結論へと落ち着いた。以上があらましだ。同人誌とも商業誌ともつかないバランスをとらなければならない。編集戦略は思潮とともひとつの終焉第1部 社会・文化 第12章 美術・文学【文学】21 762
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