北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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に変化して当り前。川辺、森山編集の場合は、それなり昭  の選択だったろう。〈地方〉としての文芸戦略は、普遍と地方とのバランスを慎重にとる必要がある。これが「北方文芸」の抱えた急所だった。いわば「普遍的〈地方〉」とでもいうべき理念が不可欠だった。たんなる地方主義でもダメ、中央主義でもダメ、あるいはかつての文学崇拝主義でもダメ。文学運動主義もダメ。そういう状況での「難破船」だった。営々三十年の「北方文芸」の終刊は重いことだけれど、爽やかに、もう、お疲れさま「北方文芸」!と労ってもいい。役を演じ切った。澤田さん、三五〇号、一大事業だったのですから!編集スタッフ森尾さん住吉さん、ほんとうに、ご苦労さま!(工藤)(公益財団法人北海道文学館・北海道立文学館所蔵)「ブレーメン館」編集部『ブレーメン館』創刊号二〇〇三年六月研究会「ブレーメン館」が設立された二〇〇二年九月二十八日、第一回総会と文化講座が札幌で開催された。その総会において私は、「ブレーメン館」を円にたとえ、その円周上に個人あるいはグループによる各研究会を配置し、円の中心に文化講座(年二回)と同人誌『ブレーメン館』(年一回)を置くという構想についてはじめて語った。もちろんその際、自分に合ったテーマさえ見つかれば、それが豊かな生き方に繋がるのです、と言うことも忘れなかった。それから八か月の間、グループ研究最初の活動として、映画自主上映実行委員会による『ショアー』札幌上映も昨年十一月十六日に実現し、当初の心配をよそに幸い大きな成功をおさめた。父と子の葛藤をテーマにした「内外小説を読む会」においては、回を重ねるごとに参加者が増え、これからも長く続けてゆくことが期待できるまでになった。さらに、ユダヤ教神秘主義「カバラ」の聖典『ゾーハル(光輝の書)』の翻訳と読書会も今では七、八人の世帯となり、着実に歩創刊に寄せて 小岸 多様な可能性第3節 様々な意匠22 763

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