北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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吉葉山は、この優勝によって第四三代横綱に昇進している。また、相撲以外では、一九九六年一月一一日に東芝サッカー部の札幌移転が正式発表、三月二日に新チーム名を「コンサドーレ札幌」とし、四月に運営会社「北海道フットボールクラブ」を設立して札幌市への移転を果たす。一九九八年にJリーグへ加盟し、二〇〇一年六月に札幌ドームが開業して以降、札幌ドームをホームスタジアムとしている。社会人スポーツも道民に感動を与えてきた。特に、アイスホッケーと社会人野球に対する道民の関心は高かった。道内のアイスホッケーを牽引してきたのは、王子製紙アイスホッケー部である。資料5からは、一九六六(昭和四一)年に、全道選手権、全日本実業団選手権、NHK杯、全日本選手権、STV杯実業団選抜で優勝し五冠を達成するなどその活躍の様子を知ることができる。一方、社会人野球の場合、一九六〇年代から一九九〇年代半ばの期間は「北海道五強時代」と呼ばれ、大昭和製紙北海道(白老町)、新日本製鐵室蘭、王子製紙苫小牧、たくぎん(北海道拓殖銀行野球部。札幌市)、NTT北海道(札幌市)がしのぎを削る時代であった。資料6は、たくぎんが産業対抗野球大会で、資料7は、大昭和製紙北海道が都市対抗野球でそれぞれ全国優勝した時の様子を伝える内容となっている。しかし、これらの企業チームは、一九九三(平成五)年以降、相次いで休部、廃部、統合に追い込まれていくことになる。資料8から資料17は市民スポーツに関する資料である。地域や住民のために市民が独自に生み出したものも多く、第三節 第四節 社会人スポーツの隆盛と翳り市民スポーツの広がり768    第1部 社会・文化 第13章 スポーツ

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