6 拓銀野球部 産業対抗野球で初優勝〔ついに全国制覇なる産業対抗野球に初優勝〕 V杯実業団選抜のタイトルも獲得して、五冠王の快挙をなしとげた。オリンピックには第四回冬季大会の際に日本が初参加、当社から四選手を派遣して以来、数々の名選手が冬季オリンピックで活躍している。五十周年を機に一層の精進を重ねたアイスホッケー部は、当社の看板スポーツとして全従業員の心からの応援と会社の理解ある協力をバックに、スポーツ界の雄としてさらに今後の活躍が期待される。(北海道立図書館所蔵)いよいよ準々決勝だ。相手はやはり常連の全大丸。拓銀はこの大会、初めて先取点をあげている。しかし五回〈一九六九年〉佐藤安彦『球道三十年 拓銀野球部闘いの記録』行進。延長戦ムードが漂ってきた。九回裏二死。それから奇跡が起きた。鈴木遊ゴロ失。佐藤(信)デッドボール、深津四球。このあと小弓場が1―2から左前に快打して決勝点をあげる。準決勝は盛岡鉄道管理局。三回二死後、加島中前安打。続く佐藤(政)は0―1からの内角ストレートを思い切りよく強振すると、ボールはライナーで左翼席に飛びこんだ。ツーランホーマーである。結局この試合は、佐藤(政)の一発で決まり2―0。ついに決勝戦進出が決まる。いやな相手であった。都市対抗に五回優勝の日本石油である。しかも準決勝では一度も負けたことがない強運を持っている。大阪全鐘紡、東京熊谷組、戦前の東京クラブが持っていた四回優勝の記録を、つい一昨年の優勝で塗りかえてしまった。社会人野球界では、東の正横綱に値いするチームといえよう。に1点を返されて同点になり、ズルズルと九回までゼロ一九八〇年〈中略〉778第1部 社会・文化 第13章 スポーツ
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