北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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ローテーションのルールを持つ六人制に切替えを図ります。それでも、メンバーをくい止めるのは至難の技。そんなある日、薬局でもらった景品のビーチボールが小島さんの目に止まります。ビーチボールを使った練習が開始されたのは、それから間もなくの事でした。大樹町から全国へ。広がるミニバレーの輪親しみやすいスポーツとして、人々に愛されているミニバレー。実は、六人制バレーの練習法の一つとして考え出されたものでした。ところが、思いがけない動きをするビーチボールに、教室の人々はバレーボールよりも夢中になってしまったのです。 「社会体育は、スポーツが苦手な人も、年配の人も気軽に楽しめるものでなければいけない。結果的にミニバレーは、そうした考えにピッタリ当てはまるスポーツだった。それから基本的なルールを作り、コートはバレーボールの約三分の一、ネットの高さは一・五五メートルに決めました」そう話すのは、現在、主だったミニバレー協会の理事長を務める、考案者の小島秀俊さん。大樹町では、その面白さと気軽さから愛好者が急増。ユニークなスポーツとしてマスコミでも取り上げられるようになりました。また、大樹町から他の市町村へ異動した教員によっても、管内に普及。各地から問合わせが殺到し、やがて全道、全国へと広がりを見せ始めます。しかし、当時は簡単な資料しかなく、ルールがアレンジされる事が多かったのだとか。 「基本的なルールを知りたい、大樹町で組織を作ってルールを統一させてほしいという声が聞かれるようになり、昭和六十年に大樹町ミニバレー連絡協議会を設立(後、協会)。自主的に普及活動を始め、二年後には十勝ミニバレー協会を設立しました」その後、管内、道内はもちろん、東京都、神奈川県、茨城県にも協会が設立され、富山県、佐賀県でも愛好者が集まり活動しています。そして、昨年十一月には、日本最南端の沖縄県が協会を設立。今年三月には、沖縄県で開かれた県内初の大会に、北海道からも二十人程が参     785第4節 市民スポーツの広がり

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