北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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資料1は、戦争が敗戦で終わり、一九四五(昭和二〇)年八月二一日に熊谷憲一北海道長官が教育関係者に対して本節では、日本が初めて経験する「占領」という事態において、連合国軍の中心であったアメリカが北海道の教育に対してどのような指導をしたかが分かるものを中心に資料を掲げた。行った訓示である。日本政府の意向と同様に「国体護持」を基調としている。同様に資料2、資料3も、一〇月一日に札幌市長が出した、「進駐軍」への対応を含めた「民心指導の件」などの通牒である。さらに道内では、資料4のように進駐軍が通過する地域で休校措置が取られた。占領が開始されると連合軍は様々な指令を出す。その一つが、修身・国史・地理の三教科の授業停止に関する指令であり、資料5はそれに基づいて全道に発せられた「新学期授業実施に関する件」である。白石村村長が各学校長へ発出した文書を掲載した。また資料6は、軍国主義的な教育を行った教職員を排除するために連合軍から発せられた「教員及教育関係官ノ調査、除外、認可ニ関スル件」をもとに、全道に発せられた教職員適格審査に関する通牒である。石狩支庁から各学校長に発せられたと思われる文書(ここでは白石国民学校)を掲載した。以上のような指令を、各学校でしっかりと読んでいるかを学校視察でも確認させられたため、資料7のような「教育に対する連合軍の指令徹底について」も出された。学校視察とは、連合軍の指令などの教育改革が各学校において適切になされているかを調べるためのものである。詳しいことは「学校記念誌にみる北海道の学校視察」(道史編さん機関誌『北海道史への扉』第二号、二〇二一年)に記したが、ここでは、資料8として占領最初期の情報部員によ解 第一節 占領の開始と連合軍の指令、学校視察797   説 解 説

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