資料11がそれで、日本国憲法を国民がしっかりと理解するためにも、民主主義的教育の徹底が大事だとコメントして資料12は、父母と教師が連携して子どもの福祉増進を進めるために設立されたPTAに対しての積極的な指導の例る学校視察を、資料9として学校視察で質問された内容を上川支庁が各学校に示した文書を掲げた。学校視察は、占領初期には「摘発型」、その後「指導・助言型」へと移行すると、先行研究(阿部彰『戦後地方教育制度成立過程の研究』(風間書房、一九八三年)で言われている。一九四六年という占領初期のこの質問事項には、単なる「摘発型」の内容だけでなく、民主主義的な教育を指向する内容も含まれていることが分かる。資料10は、北海道を管轄範囲とした北海道地方軍政部の活動報告書(MGレポート)に掲載された学校視察の報告である。このような学校視察で日本の学校の実態を把握し、日本側行政担当者とも密接な連絡を取りながら、北海道地方軍政部は様々な教育施策に関して指導に当たっていく。まず、占領初期の軍政部民間情報教育課のウルフ大尉は、視学官講習会で複式授業を見学して、指導を行っている。いる。である。民間教育課のマック・ダーガードが北海道社会教育大会において、「父母と先生の会規約及び附則」を、条ごとに説明をしている。一方、教員組合に対しては、「牽制」とも言える指導を行っている。軍政部はアメリカ第八軍に属した組織であり、反共主義的な色彩を持っていた。共産主義的勢力の一部ではないかと軍政部が考えた教員組合に対して、批判を強めていくのである。資料13は、夏季休暇中に行われる研究会や講習会などにおいて、教員組合や政治問題について「絶対触れてはならぬ」という指示を記した、北海道教育部長からの通牒である。これについては資料14のように、「同第二節 占領軍の教育施策への指導798 第2部 教育 第1章 占領下の教育改革
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