北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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が資料17である。通牒の解釈につき種々の疑義が生ずる恐れもあり」として、更なる通牒が出されている。そこには、校舎・学校施設で政党色を帯びた討議や会合をしない、講習会や研究会でも同様である、職員組合の会議・討議は勤務時間内にはしない、などの内容が加えられている。軍政部は、学校の教育内容や学校の諸制度についても指導を行っている。軍政部は、民主主義的な教育を行うモデル校として、札幌市立一条中学校を道内で唯一、指定した。資料15は、民間教育課長のシモンズが、そのモデルスクールの目的について説明したものである。一条中学校では、週五日制授業や教室移動制(生徒が教室を移動し、教師がそれを出迎えるというシステム)を実験・実践した。新制中学校は前身校を持たなかったので、その建設には大変な苦労が伴った。そのため、旧制の中学校や高等女学校がそのまま新制の高等学校になったことを問題視していた軍政部は、高校を統廃合して新制中学校の校舎を確保しようとした。これを「学校再編成」という。資料16は、ニブロ民間教育課長が札幌市での学校統廃合について関与し、市議会で指針を述べたという記事である。結局、旧制の札幌市立中学校(一九四八(昭和二三)年当時には、新制の札幌市立第二高等学校)が閉校となり、新制の中学校として使用されることとなった。軍政部は更に高校入試にも指導を行う。戦後の教育制度は、いわゆる六・三・三・四制であり、最初の六・三が義務教育である。しかし軍政部は、次の「三」、すなわち高等学校についても希望者は全員入学させるべきだとした。これに対して、実際には希望者が多く、選抜試験を行っていた。しかし、ガスタフソン教育課長は、一九五一年度に高校に入学するための試験について選抜のための試験を廃止し、合否に関係なく学力をテストするものに改め、「公立高校の入学者はその通学区域内の在籍生徒の総数に比例して決定することを原則」とすべきと勧告した。その記事軍政部は教育委員会選挙及び教育委員会自体に対しても指導を行った。資料18のように、選挙では「教育は教育者799    解 説

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