に任せておけばよい」という考え方を「日本人の悪い習慣」とし、教員組合が推薦する教員の候補を牽制している。また、資料19では、一九五〇年度の第二回教育委員会選挙で選出された教育委員に対して、例えば、新制中学の不均衡の状況などを批判し、民主的市民たることへの要望を述べている。る。教育方法を一○分野に分けて説明しているが、「四、生徒の能力の探究」では、アメリカの教育において、科学的調査・検査を重視している点を反映したものになっている。また、「七、家政能力」においても「単に料理をしたり」するのではなく、「家庭内の知的或は感情的な問題を裁く能力がある人を養成する」必要性を指摘している。アメリカの家庭のあり方も知れて興味深い。軍政部(一九四九年七月より民事部)のニブロ民間教育課長は、一九四九年一月に北海道に着任したが、離道する際に資料21のように感謝状を贈られている。ニブロは「温厚なニブロさん」と呼ばれ、またスクエアダンスを広めた人物として知られていた。資料22は、北海道の占領管理機構が終結する一九五二年一月一五日に際して、ヘーガーが行った挨拶である。ヘーガーはニブロとともに、阿部彰前掲書によって「漸進型」の教育担当官として位置付けられている。もちろん日本側にとって、占領下において対峙する相手であったかもしれないが、他の地域の軍政官に見られたように、日本側の担当官を首にしたりするなど強圧的な態度はとっていないようである。高校再編成についても、なるべく日本側の意向を酌んでいる。このような態度が、感謝状や挨拶に込められていると言ってよいだろう。資料20は、軍政部のヘーガー民間教育課長が、アメリカの教育方法について『北海道教育月報』に寄せた原稿であ800 第2部 教育 第1章 占領下の教育改革
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