2 教委選なぜ低調だつたれたのである。また、委員の任期は四年であり、二年ごとにその半数を選挙するものであるから、今回の選挙は、その第一回であるので、得票の多い順位により当選者の半数が四年、半数が二年の任期となつたのである。わが国の教育行政上、劃期、改革をもたらす意義深いこの選挙は、昭和二十三年十月五日各都道府県とも一斉に執行された。北海道では立候補者十八名で、選挙の結果、当選者は次の如くであつた。坂井 本間喜八郞(四年) 木呂子敏彥(二年) 投票成績は極めて悪く、棄権率は男五割一分三厘、女六割一分六厘、平均五割六分七厘であつた。なお、北海道議会では選挙の結果、川口常一が当選した。一郞(四年) 鎌田 理吉(四年)佐 三井 武光(二年)(北海道立図書館所蔵)道教委および市町村教委選挙は五日午後六時をもつて終了したが、この選挙を通じて示された道民の〝教育首長〟にたいする関心は予想された以上に低く投票率もきわめて低調のうちにおわつたが、とくに市町村教委の場合、本道としてははじめてのものだけにこうした低調のうちに行われたことはこんごの運営にもさま〲の問題貢(二年)を投げかけることになるわけだ。両選挙が低調に終つた理由としては一般的にはまず五日の投票日が日曜日とカチ合つたうえ選挙運動自体が衆議院議員総選挙のハデな動きのかげにかくれてしまつたことが挙げられている。このほかすでに選挙前から取沙汰されていたところだが、市町村教委選挙をめぐつて各市町村の大部分がその延期を強く主張しながらこれが強引に押切られたためいわば教委選 なぜ低調だつた 市町村 いや実施も一因『北海道新聞』一九五二年一〇月六日衆院選にかくる837第1節 教育委員会の設置と選挙 〱
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