北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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〈中略〉一○・二六学テ実施当日の状況私どもが最終的に打ち合わせた人員がそろうかどうかということで、非常に私ども責任のある立場で心配をして、いちばん先に行ったのは、常盤中学でした。旭労からいちばん近いのです。ところが、そこも責任者と会って話をしたら、私どもが割りふったよりも多く各労働組合から人員が出ておりまして、そこで早朝集会をやっておって、私ども非常に感激をしたわけです。そこで、校舎全体を見回って、常盤中学をふりだしにして各学校を回ったわけですが、私が回ったのは常盤中学からすぐ北都中学のほうに移りまして、そこから明星中学に行ったわけです。明星中学は、もうテストの時間がきておりまして、私どもが着いたときには校長をはじめとして、それぞれの教育委員会から回って来たテスターの補佐、そういったものがいろいろ私どもの代表と具体的に中止の問題について、当時村井徳蔵校長だったと思いますが、明星の校長さんと、旭労側の代表、北教組の代表等が中止を呼びかけて、なごやかに話をしておりました。これは、まだ中止はできないということで話ししていたようですが、私の感じではもうすぐこれは校長の判断で中止されるものだというように判断して、明星中学から今度は近文のほうを回って、旭労に一度もどりました。旭労に帰っていったのは、だいたい一○時半頃だと思います。もどったら、雨粉中学で学力テストをやれた、とこういう話を聞いたわけです。それはたいへんだということで、ただちに雨粉中学に宣伝カーで私がとんだわけです。雨粉中学校に行くと、一時間目の教科だけを水谷という校長でしたが、テストを行ったあとでした。次のテストをやろうとしてうちの組合員たちが校長としてあるまじき行為じゃないかと、だましうちみたいに話ししてる最中に、水飲みに行くと言って出て行ったと、そして校長自らが教室に入りこんでやったということは、なんたるいいかげんな人だということで、私どもが行ったら全員で校長室で多少声高く議論しておりました。私が行って間もなく、北教組の富田書記長もまいりまして、868第2部 教育 第3章 教育条件整備・教育運動 

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