白石にある朝鮮人初中級学校(児童生徒数、約二百五十人)など道内にある十校の朝鮮人学校を早急に各種学校に認可するよう要請、また朝鮮人学校の実体をじっくり見るよう訴えた。これに対し、三枝副知事は「近く外国人学校法が制定されると聞いており、それまでは現状のままで」と確答を避けたが、朝鮮人学校の視察については反対しなかった。新しい学校を!一九八○年代、遠藤豊さんという著名な教育者が中心となって「管理教育ではなく自由な教育を推進する学校を」という意図をもって埼玉県飯能市に「自由の森学フリースクール〈一九八〇年代〉和寒町公民館『文芸和寒』四七号二〇一八年園」を創設した。私は、北大時代からお世話になっていた鈴木秀一教授と語り合い、いずれは北の地に「自由と共同の学校をつくろう」という目標をもつ研究会「新しい教育・学校をめざす研究会(新教研)」を結成した。一九八六年四月四日、北大の鈴木研究室でこれを確認した。この時の確認は私と鈴木教授と当時札幌北斗高校の同僚若山征志氏の三人だった。忘れることのできない日である。これ以降、原則月一のペースで「新教研」主催の「教育の広場」といった勉強会を開くことになる。最終目標は、自由の森学園のような学校を北の大地に開くことだったが、これを成功させるためには多額の資金が必要。そう簡単なことではない。しかし着実にこの動きを広げていこうという趣旨だった。この研究会(勉強会)に、何人もの現場の教師、父母、学生たちも参加した。先にあげた遠藤豊さんをはじめ、首都圏から著名な人を招いて「講演会」なども開いていった。〔教育ひとすじ半世紀~わが八十年の人生のスケッチ~札幌自由が丘学園三和高等学校校長〕亀貝一義 873第2節 教育運動・教育政治12
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