料4は、引き揚げてきた人々の入植地に開校された小学校に赴任した教員の記録である。戦後の混乱や財政難のなか資料5には、戦後の財政難、食糧難のなかで、学校を長期に欠席しなければならなかった子どもたちが多くいたこ資料6は、主に都市部の学校の状況を示したものである。財政難、教員不足という問題を抱えながら、戦後の人口通知した「学校給食実施要領」である。学校給食は教育の一環であるとともに、家庭及び地域社会の食生活改善に資することが目的であると記述されている。しかし、この時期に完全給食(パン、ミルク、おかず)が実施できたのは主に都市部の学校であり、D4型のミルク給食のみ、あるいは給食を実施できなかった学校も多かった。学校教育の改革が進められていく一方で、子どもたちをめぐる社会及び家庭教育環境には多くの課題があった。戦後、外地から引き揚げてきた人々、児童、そして道外の戦争罹災者の多くが生きる場を求めて北海道に移住した。資で、開拓地に移住した人びとは、自らの労力や費用をもって学校を設置し、教材教具をそろえなければならなかった。資料には単級学校で子どもたちを指導する難しさも記されている。とが記述されている。病気が理由で欠席する子どもが多いが、遠距離通学を理由にする子どもたちや、労働に従事し家計を支えるために長期に学校を欠席しなければならなかった子どもたちが多くいた。増加、中学校の新設、後のいわゆるベビーブームも相まって、学校及び教室の新設が間に合わなかった。そのため「すし詰め」の教室にせざるを得ず、資料にあるように二部(午前、午後などの二部に分ける)授業を実施した学校が多く、三部(午前、午後、夕方から夜間などの三部に分ける)授業を実施したところもあった。子どもの生活と教育環境880第2部 教育 第4章 小学校・中学校 (2)
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