一九五三(昭和二八)年、五四年、及び五六年と、北海道は冷害、台風による災害に見舞われ、特に五六年は大冷害凶作の年となった。漁業においても五五年が大凶漁となり、産業界の不況によって石炭需要が減退し、特に中小炭鉱は人員整理、閉山という苦境に至った。資料7①②は、そのような状況下で欠食児童生徒が増加し、学用品や生活用品も不足しているため、北海道教育委員会や地元の教育委員会が子どもたちの救済を求め、まとめた要望書である。なお、道内のそのような状況は全国的に報じられ、全国各地の学校、PTA、有志団体から救援物資が学校等に届けられた。道では、一九六〇年以降にエネルギー資源の供給量の一位が石炭から石油に替わる。それに伴い炭鉱離職者が増加していった。資料8は、閉山となった炭鉱地の教員が、離職した保護者とともに新たな地へ転校していく児童生徒と当時の学校の状況を記したものである。炭鉱業が斜陽していく一方で、いわゆる道央ベルト地帯(札幌・小樽・苫小牧・室蘭等)を中心に工業振興の重点化が図られ、室蘭には、大企業を中心に中・小の製鉄工場が設立された。しかし、一九五八年ごろから公害が問題視され、室蘭は六六年に「ばい煙規制法」に基づく指定地域となった。資料9は、室蘭市教育委員会が作成した「公害教育」の「指導資料」について解説するものである。「公害教育」の目的は、子どもたちに公害の現況を正しく認識させ、公害から健康と生活を守るための知識、習慣を身につけさせることにあった。冷災害と炭鉱不況下の子どもたち公害教育と学校統廃合第二節 高度経済成長下の学校教育881解 説(2) (1)
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