ユラムの縮図でもある。これを漸進的に拡充し、将来に望むのである。この教育理想を漸進的に着実に実現するためには、先ず「()生活する人間の意志の働きや行動に伴う知性や心情の動き、それに生活の幸福を享受すべき経験の全範囲を知り、これによつて「幸福な生活」を経験させねばならないのである。しかし現在これを中心学習にのみ望むことの不可能であることは前述した。しかも現在においてこれを充たすには「生活の用具となる技能の練習」「豊かな心情に育てる創作、表現、鑑賞の生活」「健康と体育の生活」を周辺学習として側面からの助成生活をさせるべき態度も述べた。しかしここで、この両者の相関性に二つの立場があることを知らねばならないのである。即ち一つは、中心学習から派生的に必要を生じ、特別な学習にこれを充たし、また中心学習にもどつて中核を拡充する派生的周辺学習であり、一つは、中心学習に必要な基礎力をあらかじめ予想して、中心学習に役立てる基礎的周辺学習である。この相関性を、中心学習のそれとママ共に、どのように複合関連させるかということが、コア・カリキユラムの現在から将来を運命づける要因となるのである、 これらの周辺学習は、従来の教科とは全然別のものであるが、しかしまた全然無関係のものではない。それは教科といえども、生活を分析した知識的生活単位といえるからである。周辺学習を従来の教科と関係づけ、知識としてとりいれ、知行一体の生活をすることは、生活教育に逆行することではなく、むしろ望むべきことである。元来、経験カリキユラムや生活教育は、知識や学問の体系であり教科カリキユラムであるものを、全然否定するのではない。そのような知識体系はむしろ生活を豊富にし、合理化し、能率化する生活要素である。このようにみて、現在は左の如く、従来の教科と周辺学習を関係づけている。表現鑑賞の学習—国語(文芸)音楽、図工 健康と体育の学習—体育 技能の練習—国語(文字、言語)算数—用具教科表現教科887第1節 戦後の学校教育改革と子どもの環境
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