北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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委せるが一応部落民に会つてみてくれとのこと。翌々日は取り敢えず児童のこれ迄お世話になつている隣校の校長さんを訪ねる。其処で概容を聞くと、部落民は昭和廿二年以来の入植者で樺太の引揚者と既農二、三男の入植者が半々、児童数は三六名とのこと。補助教員は若い男の先生を児童に其の儘つけてやるが目下学芸会の練習中であり、卒業式も間近か故児童に抜けられては双方都合が悪いのではないかとの話、一応学校へ案内しましようと云つたわけで、其処から約一里の雪道を新設校へ向う。着いて見ると驚いた、雪の中にすつぽり埋つていて屋根だけしか見えない。中へ入つて見ねば物足らず廊下の欄間から這入つて見ると、なる程何も無い。各室は雪でとざされ暗やみ同然、机一つないのだから唖然。これで即時開校など及びもつかないことだ。そこで日を改めて隣校々長、役場、部落代表、小生と四者会合の日を設けて合議の結果、種々の情勢を判断して四月開校と決定した。一、赴任前任校(上士別小学校)と学校事務(経理担当)学級事務の整理引継、新任地の受入準備其の他を終えて赴任の日が三月八日になる。前任地とは背中合せの隣接町村なので馬橇四台で迎いに来てくれる。全校職員児童、PTA諸氏の歓送裡に別れを惜み雪道をひた走り。村堺の峠に差しかかると十数名の子供達が走り下りて来る。は謝。ここから学校迄は未だ二里近くある。途中数回荷物をひつくり返したり、隣校職員全児童の歓迎を受けいよ助教員)がくる。沢に添つて家がづつと続いているのを見て家族の者はホツとしている様子。扨て学校へ着いて見るとてんやわんや。道路から学校迄の道をつけている者、学校用の薪を運んできて小切りしている者、校長住宅の障子張り、雪よけ等々、部落挙げて受入れ準備に忙しい。何となく目頭があつくなつてくる。廊下をカーテンで仕切つて仮事務室も出来た。幸い佐  〱る〲〈中略〉出迎えている子供達だ。皆健康相である。厚意深開拓地に入る。三六名の児童を連れて佐藤先生(補四、学習891第1節 戦後の学校教育改革と子どもの環境

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