8 閉山地の学校読者の声 荷物を積んだトラックが見えない位、海路の雪壁が高かった。この四月当校赴任時も、ついこの前の事のように感じられる程、過ぎ去った七ケ月は目まぐるしいものであった。児童数百七十二名、職員八名の六学級(三月までは十三学級)いかに閉山の地域とはいえ、聞きしに勝るすさまじい変貌を目の前に見、いいようのない感にひたっている。雪が溶けた五月、申し合わせたように炭坑従業員新職場を求めての沈痛の中にも不安と希望にもえて転出、開拓唯一の交通機関である鉄道は廃業したが、トラック百数十台が行きかい、毎日のように十人、十五人の転校児消えいく閉山地の学校空知教育研究所『教育空知』二一六号一九六九年一○月童に、只「頑張るだよ。」「頑張れよ。」の言葉以外は胸につかえて出てこない。六月には三名の職員が転出し、複式授業、二学期になって二十六名の児童、十月に三名の職員転出、十一月には児童四名と校長と私、かっては児童数千百余二十三佐藤 幸太郎 学級のこの大きな校舎にポツント六名の人数、この子たちもまもなく雪の降る前にこの地を去るであろう。(雨竜郡沼田町立浅野小学校・教頭)(北海道立図書館所蔵)901第2節 高度経済成長下の学校教育
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