北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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験指導を行うとともに、受験から大学生活までの各種情報を伝えてくれるこの種の学生団体は半ば公的な存在であり、大学当局からは専用のスペース・電話などを供与され、高等学校・予備校の教員や受験生からは重宝された。状況を伝える新聞記事。札幌開成は二校目の市立高校として一九六二年に開校したが、二〇一七(平成二九)年に閉校して中等教育学校へ移行した。北星学園男子は同じく一九六二年に琴似で開校、八〇年に厚別へ移転、八七年に共学化して北星学園新札幌、二〇〇二年に北星学園大学附属と二度改称した(なお、厚別移転時の新入生から再度制服着用を義務付け、年次進行で一九八二年に制服自由化を撤廃)。今では私服通学が可能な全日制といえば、主に旧制中学に由来する道立高校というイメージが強いが、発端は生徒急増期の緊急対策として開校したばかりの市立・私立の新設校だった点が興味深い。る一九六五年、余市町の誘致を受けて開校したが、生徒急増期が終わるや徐々に生徒募集難に陥る。学校法人北星学園が廃校方針を決めた一九八七年一月、同校教職員は学力不足・登校拒否(不登校)などで高校中退を余儀なくされる生徒を転入学させることで生徒増を実現しようと決め、東京・神奈川の私立高校五○校の校長に対してその旨の案内状を発送した。登校拒否が社会問題化していたものの、広域通信制高校・大検(現在の高卒認定試験の前身)予備校・フリースクールのような宿り木がほとんど存在しなかった当時、この件は全国規模でマスコミに取り上げられ、大きな話題となった。まれをピークとする「第二次ベビーブーム」終了後、高等学校の学級数(北海道内では「間口」と呼ぶ)の削減や大規模な統廃合が必要になることは自明であった。さらに、生徒の普通科志向・全日制志向、社会が求める学校の個性資料8は、一九七一(昭和四六)年に道内で初めて高校における制服自由化を実施した札幌開成・北星学園男子の資料9では、私立高校の取組について取り上げた。北星学園余市高等学校は第一次ベビーブーム世代が受験を迎え資料10は、高等学校長期収容対策に関する北海道高等学校長期収容対策検討協議会の報告書である。一九七三年生925   解 説

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