〈中略〉男女共学昭和二十五年(一九五○年)三年生のころ、進まぬ男女共学の推進に、道教委が小樽をモデルにしてゴリ押しする形で、当の生徒を置き去りに公聴会を開き、共学実施を強行しました。普通科は妙見川を境いに女子高校と入替えを決められたのです。当時、桜陽に行かされる生徒の代表が、担任の棟先生に抗議しました。「民主主義の世の中になったのに、我々小樽中学に希望を抱いて入学してきたものを、卒業を目の前にした今、男子便所もない女学校に無理やり追いだすのはおかしいではないか」と。棟先生も説明出来なかったが、「俺も行くから一緒に行こう」としか言えなかったそうです。北海道小樽潮陵高等学校『潮陵九十年史』一九九三年〈中略〉昭和二十五年七月十八日、朝、校門前に整列し、残る学友達に見送られて、泉山先生、棟先生らに引率され学校を出発、住吉神社の前あたりで桜陽からの交換女学生達と行き交い、その後姿を見てから涙が出てきたと聞いています。教室では、昨日まで軍袴を紐で縛ってカーキ色のシャツ姿で教壇に立っていた先生が、女学生を前にすると、どこに持っていたのか背広上下にネクタイを締めて、見違えるような変身ぶりでした。声も言葉も怒鳴りつけるような物言いが嘘のように、優しく女学生に語りかけるのでした。男女七歳にして席を同じうせず、と習ってきた我々は異性に対して免疫が薄かったのか、同期で夫婦となったペアが結構見受けられました。(市立小樽図書館所蔵)5 男女共学〈一九五〇年〉〔紙上座談会わが樽中・潮陵を語る〕 第2部 教育 第5章 高等学校932
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