第二次世界大戦によって日本経済は壊滅的な打撃を受け、戦後社会は混乱の中でスタートした。農山漁村地域には食糧増産の役割を期待されたが、資金や物資の不足、農業会の解散などの影響もあって期待に応えるまでには時間を要した。を得る者が現れる一方で、多くの農家が、営農資金不足から肥料、農機具、作業着などの購入に苦慮する様子がうかがわれる。また、戦後は様々な分野で政策が転換され、人々は価値観の転換にも迫られる。資料2は、「産めよ、殖やせよ」という政策から一転して奨励された産児制限に対する賛否の意見が掲載された文書である。農業は家族労働力を必要とするため、産児制限に単純に賛成することができないという事情もあったことが分かる。占領下、生活改良普及員や開拓保健婦などのサポートを受け、農山漁村の生活環境の改善が進められ、主権回復後資料1は、『北見新聞』の一面に掲載された「北見農村の経済白書」という記事である。農産物の闇販売などで富終戦直後の農山漁村社会農山漁村生活の再建への動き解 【農山漁村の生活】第一節 戦後復興期の農山漁村社会79解 説(2) 説 (1)
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