北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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展的に解消し、あらためて「教育研究」第一号(僻地教育問題号)を刊行した。昭和二九年三月一○日、所名を「北海道学芸大学僻地教育研究所」と改め、研究所規定をさだめ専ら僻地教育の研究にあたることになつた。昭和二九年五月一○日、特に僻地に勤務する教員の現職教育のために、ラジオによる通信教育講座が、学芸大学、北海道大学、札幌中央放送局の三者によつて企画運営され、本研究所に関係するものの積極的努力がはらわれた。昭和二九年九月一五日、「教育研究」第二号(僻地教育問題号)が刊行された。昭和二九年一二月一一日、胆振支庁有珠郡大滝村の好意により、同村北湯沢昭園四二番地の土地に教育研修所の新しい建物(約五六坪平屋)の本学に対する寄贈開所式が行われた。この施設は本研究所の分所として僻地教育の現場研究の遂行にあたると共に、管内の教育振興のために、現職講座、実地指導、教育実習、および村内の社会教育のために利用されている。また、本学自然科学部門は、ここを基地として周辺の自然に対して総合研究を試みている。昭和三○年三月二七日、午前一時、階下一室より発火し、不幸にも研究所の建物は全焼、貴重な資料および文献を失う。その後の運営は札幌分校の一室を借りて行う。(北海道立図書館所蔵)第1節 戦後復興期のへき地教育研究大会の広がりとへき地教育の充実955     

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