北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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文書である。当時の農家の嫁の地位の低さや嫁─姑間の確執などの問題状況が指摘されている。半ばにかけて青年男女の農村からの流出が進み、青年団の団員が急激に減少し、活動が停滞していく様子が分かる。様子が書かれており、執筆した男性のやりきれない気持ちを読み取ることができる。農山漁村社会で様々な問題が噴出してくる一方で、その解決に向けて、国、道、市町村、関連諸機関、農漁民組織などによって様々な対策が講じられてくる。の共同化に加え、一九七四年からは田植え時期の共同炊事に取り組むようになっている。共同炊事は、主に女性の労働軽減と家族の栄養管理を目的に実施されており、大きな成果を収めている。あり、函館市石崎地区もまた同様であった。漁業による所得が低いため、他の時期は現金収入を求めて長期間出稼ぎに出る漁家が多く、そうした状況から脱却するために、一九六二年にむらづくり推進協議会が結成される。自治体や関係機関の指導助言を受けながら、地元産業の振興や環境整備、福利厚生面の活動に一〇年計画で取り組んでいる様子が分かる。北海道の場合、農家や漁家が散在していることが、生産・生活面に不利益をもたらしていることも少なくない。一九六〇年代後半には、散在する農漁村住宅を集団化し、生産・生活両面での利便性を高めるために「農漁村集落団地資料10は、千歳市の青年会の会誌に掲載された文書である。資料10①からは、一九五〇年代の終わりから六〇年代資料10②では、農家の娘が農家に嫁ぐことを嫌がったり、農家の親が娘を農家に嫁がせることを望まなかったりする資料11は、滝川市江部乙町の機械利用組合で取り組まれた共同炊事についての報告である。この組合では、農作業資料12は、出稼ぎからの脱却を目指した函館市の漁村の取組を紹介している。当時、道南の漁村は疲弊した状況に問題状況への対応と対策82第1部 社会・文化 第2章 農山漁村・炭鉱の生活     (3) 

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