北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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造成事業」が展開される。資料13は、枝幸町から北海道に提出された陳情書「音標漁家団地計画について」である。陳情書は三カ年計画の一年目終了時に提出されており、個人住宅建築資金、団地造成費、漁業団地への移転費用への助成や給水施設、保育所、共同作業所の設置などが要請されている。ある。大樹町では一九六八年に農業後継者結婚相談所を設立し、相談員による花嫁探しがスタートしている。特に中高年男性の花嫁探しは難航し、次第に地域を広げ、ついには道外にも出向くようになっていく過程が分かる。一九六〇年代半ばに過疎問題が深刻化し、国の対策も本格化してくる。一九七〇年に「過疎地域対策緊急措置法」が制定され、道内の自治体でも計画策定に動き出す。資料15は、一九七〇年に策定された『京極町の過疎地域振興計画書』からの抜粋である。過去五年間に人口が一五%減少しており、若者の流出と高齢化が進む現状への対策として、道路整備、学校統廃合、産業振興など六点の基本的施策が提起されている。高度経済成長期後も農家数の減少が続き、後継者がいない農家が急増したため担い手を育成する取組が始まる。また、農山漁村地域の環境整備や景観づくりへの関心が高まり、農業・農村が持つ多面的機能が注目されるようになる。加えて、農山漁村と都市の交流が重視され、グリーン・ツーリズムと総称される取組が広がりをみせる。期を通じて進行した農業労働力の減少に対応するため、新規に就農を目指す担い手を育成することの必要性を認識し、その体制づくりに乗り出していく様子が分かる。資料14は、大樹町農村花嫁相談所所長が、農業後継者対策として後継者結婚問題に取り組んだ経験を記したもので資料16は、北海道新規就農青年対策協議会『新規就農青年対策資料』に掲載されている文書である。高度経済成長資料17は、旭川市農村女性ネットワーク〝かがやき〟が現地視察研修会で南幌町を訪れた際の視察資料である。視第三節 高度経済成長期後の農山漁村社会83解 説     

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