時においてアイヌ民族の政治的要求の多くを盛り込んだものと評価された。に関する資料である。「後援」には多くのメディアや団体が名を連ねる一方で、「趣旨」は、「道民一人一人の理解を得」ることを先ず目指さなければならないと述べる。北海道ウタリ協会による制定運動は、法の精神を社会に強く訴える、というよりは、先ずは日本社会の多数者に向けて、このような新法制定を求めるに至った歴史的背景や理由を説き、理解・支援を求める性格にならざるを得なかった。ここに、当時におけるアイヌ新法の画期性と、その制定要求が措かれていた状況の厳しさがうかがえる。日本の政治・行政の側の認識が極めて不十分なままであることが明確に露呈したのが資料21に見られる、一九八六(昭和六一)年における内閣総理大臣による日本は単一民族国家であるとする発言と、その発言が日本社会についての明らかな事実誤認であるとの指摘を受けたことに対する、アイヌ民族の歴史や文化などに関する認識に欠けた応答である。さらにその周囲の政党や政界は、「北海道旧土人保護法」の名称のみを変更するような対応によって事態の収拾を図ろうとしたことも、むしろ政府・与党の認識の甘さを示すものとして抗議を受けるものだった。この当時においても政府は、国連等に対しても日本国内には「種族的、宗教的または言語的少数民族」は日本国内には存在しない、との回答を続けており、このような認識及び国際社会での姿勢についても強く抗議を受けるに至った。道では、ウタリ協会関係者や学識経験者などからなる「ウタリ問題懇話会」を設けて検討を依頼し、懇話会では、海外調査なども含めて三年余りにわたって検討を重ねてきた結果、一九八八年にその結果が報告された。その内容は、北海道旧土人保護法及び旭川市旧土人保護地処分法を廃止し、「アイヌの人たちの権利を尊重するための宣言」を始め、「人権擁護活動の強化」や「アイヌ文化の振興」など五項目の内容を含む「アイヌ新法(仮称)」を提言するものであった(資料22)。資料20は、北海道ウタリ協会が進めたアイヌ新法の制定要求運動の一つ、「アイヌ民族の新法制定を考える集い」942第9章 現代北海道政治史の中のアイヌ民族
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