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コレクション

林家文書

「林家文書」とは、余市の場所請負人、林家代々の文書類であり、北海道史研究上でもきわめて重要なものである。

この文書の旧蔵者である林家の初代長左衛門は秋田県の出身で、文化元年(1804)にはじめて松前に渡り、屋号を竹屋と称して枝ケ崎町に商店をひらきつつ財力をたくわえ、ついに場所請負人となった。文政元年(1818)から厚岸場所を請負い、さらにそれを返上して余市場所を請負った。

長左衛門はそれまで余市場所を請負っていた柏屋藤野喜兵衛がたてた運上家を改築し、余市アイヌを使役してもっぱら漁業をいとなみ、その後4代の間余市の請負を継続して明治2年に至った。

林家が開発に貢献した功績は大きいが、事業の中でも著しいものは、天保10年の余市大浜中よりフコベに至る約1里の道路の開削、弘化3年の鰊建網の新設、安政3年から4年にかけての余市山道12里余の開削などがある。  余市に残る林家の居家「旧下ヨイチ運上家」は16世紀末松前藩が蝦夷地入封後、領内各地に80カ所ほど設けた交易上の施設のうち本道に現存する唯一の例である。

北海道における明治以前の数少ない建造物として、その価値が認められて、昭和46年に国の重要文化財に指定されたが、昭和51年7月から3年9カ月を要して、大修理が行なわれ、往時をしのぶ建物として再現された。

元来、本道を支配した松前藩は、本土とは異なり、米を産出しなかったため農業を基礎とする経済を営むことができず、水産物や獣皮などを商品とする商業交易を経営すると共に、商人や漁師からの徴税で藩の財政をまかなっていた。

そして藩士も禄高の代わりに商場(あきないば)を与えられ、本州の商人と物産の取り引きをしていた。しかし藩も知行主である藩士も多くの失敗を重ねたりしたため、亨保、元文年間には商人から交易権と引きかえに運上金や礼金を受けとって代りに経営をまかせるようになった。この商人を「場所請負人」、交易所を「運上家」とよんでいる。

このような事情から、場所請負人の資料は単なる商人としての資料にとどまらず、実質的な行政権をも行使した歴史資料といえる。

また林家は安政6年(1859)に松前藩から苗字帯刀を許され、町年寄を命ぜられ、士席に列して藩政に深く関わったため、松前町の動きなどもよく記録に残されている。

林家は近年まで漁業を続けていたため資料がほとんど残っており、他の場所請負関係資料が大部分流出した中にあって貴重な存在である。文書の範囲はきわめて広く、東蝦夷地の虻田から厚岸、西蝦夷地の積丹から石狩にまたがり余市に限るものではない。なお余市町所蔵の文書類は町の有形文化財に指定されており、千数百点に及ぶとされ、『余市町史 第1巻 資料編1』(余市町 1985)には、解読が収録されている。

当館蔵書については今後の解読、研究に待たねばならないが、従来の北海道史の欠落部分を補うものと期待される。

なお、今回デジタル公開する当館所蔵分のほかに、余市町、北海道開拓記念館、札幌市中央図書館等でも所蔵しており、資料は分散している。